核兵器のない世界

核兵器は、人類と地球に対して深刻で増大し続ける脅威となっています。その廃絶は、ますます緊急性の高い課題となっています。

核兵器のない世界

世界の大多数の国々は、この目標に揺るぎない決意で取り組んでおり、2021年に発効した画期的な核兵器禁止条約(TPNW)に参加しています。

しかしながら、依然として9か国がこの究極の大量破壊兵器を保有し、新たな国際的規範や市民の意思に反する状況が続いています。これらの国々は毎年、数十億ドルを費やして保有核兵器の近代化や増強を進めています。

危険な核軍拡競争が進行しており、核兵器が使用されるリスクは意図的であれ偶発的であれ、これまでになく高まっています。私たちは常に、たった一つの誤った判断で世界的な大惨事になりかねない状況にあります。

核兵器がもたらす比類なき被害を防ぐためには、各国政府が緊急性をもって行動し、核兵器を廃絶しなければなりません。それこそが、将来にわたる使用や実験を防ぐ唯一の確実な方法です。

しかし、それは世界中の人びとが声を上げ、行動を求めて初めて実現します。

世界で最もおそろしい兵器

核兵器はこれまでに作られた中で最も破壊的で無差別かつ非人道的な兵器です。たった一発の爆弾で都市全体を破壊できるほどの威力があり、数十万、あるいは数百万人もの命を奪う力を持っています。

赤十字国際委員会は、核兵器について次のように述べています。「その破壊力の大きさ、人間に言葉にできない苦しみをもたらす点、そして環境や将来世代、さらには人類の存続そのものに対する脅威において、他に類を見ない兵器である」

核兵器は膨大な放射線を放出し、大気、土地、水、そして私たちの身体を汚染し、国境を越え、世代を超えて被害をもたらします。

核兵器が存在し続ける限り、再び使用される現実的な危険は消えることはありません。そしてひとたび使われれば、その影響は壊滅的なものとなり、紛争とは無関係な国の人々にとっても同様です。

ガスマスクはガンマ線による放射線から身を守ることはできません。 出典:リッキー・ピットマン

核兵器の影響

熱線

核兵器が爆発すると、極めて強烈な熱線が放出されます。爆心地付近にあるほとんどすべてのもの、そして人びとは、瞬時に灰や蒸気となってしまいます。

中心部の温度が100万度を超える巨大な火球が空高く上昇し、地表温度も数千度に達します。これは太陽の表面よりも高温です。

この強烈な熱は広範囲にわたって火災を引き起こし、有毒な煙や燃焼ガスを大気中に放出して、それらはやがて一体となり、巨大な火災旋風を生み出します。

爆心地から数十キロ離れた場所にいる人びとでさえ、命に関わる深刻なやけどを負い、さらに遠くにいる人びとも、閃光によって視力を失うことがあります。

爆風

核兵器はまた、衝撃波と呼ばれる、巨大で高速で動く空気の壁を発生させ、数キロにわたって外側へと広がります。

その衝撃波は人びとを空中に投げ飛ばし、気絶させ、身体を引き裂き、肺を破壊します。

建物は広範囲にわたり完全に破壊され、多くの人々は押しつぶされて命を落とします。周囲の物はまるで飛来物のように空中を舞います。

大きなコンクリートや鉄骨の高層ビルでさえ、爆風の力で破壊されます。

放射線

爆発を引き起こす核分裂反応は、大量の電離放射線を放出し、人体の深部にまで入り込み、細胞を破壊または損傷させ、さまざまな病気を引き起こします。

爆心地から数キロ離れた場所でも、急性放射線症で死に至るほど人々は高い放射線量を受けます。

症状としては嘔吐、歯茎の出血、下痢、脱毛などがあります。多くの人は発作から数ヶ月以内に死亡します。

中には急性期から回復する人もいますが、放射線の後遺症によるがんやその他の病気により、数年から数十年後に亡くなります。

被爆者の中には染色体異常やその他の遺伝子損傷を起こし、将来の世代へと受け継がれる可能性もあります。

放射性降下物

核兵器は巨大なキノコ雲を作り出し、放射性の塵や破片を円柱状に吸い上げ、大気中に放出します。

それらは風の流れで空気中に散らばり、最終的には広大な範囲に降りかかり、地表へと降り注ぎます。

これが放射性降下物であり、爆心地から遠く離れた人々にも即時的かつ長期的な健康リスクをもたらします。一部の放射性同位元素は長年にわたり有害であり、土壌、水、食料を汚染し続けます。

電磁パルス

高高度で爆発すると、核兵器は強力な電磁パルスを放出し、広範囲にわたって電子機器を破壊します。携帯電話通信、インターネット機能、銀行システムはすべて深刻な障害を受けます。

この影響は大気圏および高高度核実験の時代に初めて観察されました。1962年、アメリカが太平洋のジョンストン環礁上空約400キロで核兵器を実験した際、1,450キロ以上離れたハワイの街灯や電話に被害が出ました。

非常に高威力かつ高高度の核爆発は、大陸全体の電子機器を破壊する可能性があります。

アメリカ・ネバダ州で行われた核実験において、模擬住宅に及んだ爆風の影響。出典:アメリカ政府

子どもたちの脆弱性

核兵器の影響に対して特に脆弱なのは乳幼児や子どもです。

子どもは大人と比べて、やけど(皮膚がより薄く繊細であるため)、爆風によるけが(身体が比較的弱いため)、そして急性放射線症(成長し分裂している細胞が多いため)によって、いのちを落とす可能性が高いとされています。

また、倒壊した建物や火災の中から脱出したり、その後に生存率を高めるための行動を取ることも難しくなっています。

1945年、長崎への原爆投下後、やけどの治療を受ける子ども。 出典:富重安雄

核の冬と飢餓

核兵器は、地球上のすべての複雑な生命を破壊しうる、唯一の装置です。

もし100発以上の核兵器が都市に使用された場合、その後に発生する大規模な火災によって生じるすすや煙が地球全体を覆い、10年以上にわたり太陽光を遮ると考えられています。その結果、地球の気温は大幅に低下し、「核の冬」と呼ばれる現象が引き起こされるおそれがあります。

暗闇に包まれた世界では、現在は熱帯である地域でさえ氷点下の環境となります。食料作物は壊滅的な被害を受け、世界の食料生産は崩壊し、その結果、広範な飢餓と社会の崩壊が引き起こされます。

感染症の流行や、限られた資源をめぐる争いも広がります。すでに栄養状態が悪い人びとほど、命の危険にさらされます。

たとえ「限定的」と呼ばれる核戦争であっても、世界に存在する核兵器のごく一部が使われるだけで、多くの人びとが飢餓の危機に直面します。

このような戦争はオゾン層を深刻に破壊し、特定のがんの増加や海洋生態系の深刻な破壊をもたらします。多くの動植物が絶滅の危機に直面し、地球への被害は取り返しのつかないものになるでしょう。

避難と経済の崩壊

核戦争では、放射性降下物にさらされた何百万人もの人々が、避難所、汚染されていない食料、水、医療を切実に必要とし、隣国への避難を余儀なくされるでしょう。避難を求める人々の数は歴史上前例のないものになるでしょう。

複数の核兵器の使用は国際貿易や通信網に深刻な混乱をもたらし、世界的な経済崩壊を招く可能性があり、貧困を悪化させ、人類開発目標を数十年後退させる可能性があります。

どの国もどの個人も、その潜在的な影響から免れることはできません。

広島と長崎

1945年8月、アメリカ合衆国が日本の広島長崎に投下した二発の核爆弾によって、25万人を超える人びとが命を奪われました。これは、戦争において核兵器が使用された、最初であり唯一の事例です。

多くの人びとが瞬時に焼き尽くされました。また他の人びとは、激しいやけどや爆風による負傷、急性放射線障害によって、数時間後、数日後、あるいは数週間後に、苦しみの中で命を落としました。さらに、放射線によるがんやその他の病気によって、その後何年にもわたり多くの人びとが亡くなりました。

このような惨劇を二度と繰り返さないために、各国は緊急性をもって核兵器の廃絶に取り組まなければなりません。

広島と長崎では、目の前に広がる光景は、まさにこの世のものとは思えないものでした。校庭には、亡くなった子どもや、苦しむ子どもたちが散乱していました。母親たちは動かなくなったわが子を抱きしめていました。内臓が露出し、皮膚が垂れ下がったままの人びとの姿も見られました。

病院の多くは倒壊し、医療物資も失われ、医師や看護師の多くが命を落とすか負傷していたため、多くの人びとは、苦しみを和らげる手当を受けることもできないまま亡くなりました。その後、救援のために街に入った人びとも、残留放射線によって命の危険にさらされました。

犠牲者の大多数となる9割以上は民間人であり、その中には約3万8千人の子どもたちが含まれていました。広島では、当時約8,400人の中学生が、防火帯をつくる作業のため屋外に出ており、そのうち6,300人が命を落としました。

廃墟となった広島。出典:アメリカ政府

広島平和記念資料館の展示。

爆心地

それぞれの都市において、爆発の中心地点に最も近い場所である爆心地にいた人びとは、生き延びる可能性はほとんどありませんでした。爆心地から半径約1.2キロ以内にいて、爆発の影響から遮られていなかった人びとのほぼすべてが、即死、あるいは数週間以内に命を落としました。

爆心地の地表温度は摂氏3,000度から4,000度に達し、最大で約3.5キロ離れた場所にいた人びとでさえ、やけどを負いました。また、強力な衝撃波によって、半径約2キロ以内の木造建築の大部分が破壊されました。

さらに、爆心地から1キロの距離であっても、人びとは急性放射線症によって命を落とすほどの高い線量の電離放射線を浴びました。そして、さらに遠く離れた場所にいた多くの人びとも、放射線被ばくの後遺症によって命を落としました。

原爆投下後

原爆投下後の混乱の中で、親はわが子を、子どもたちは親を、必死に探し続けました。愛する人の焼け焦げた遺体や、身の回りの品だけを見つける人もいれば、何ひとつ手がかりを見つけられないままの人もいました。

家族を再び引き合わせようとする試みは、さらに困難を極めました。多くの人びとが、あまりにも深刻な傷を負っており、見分けがつかないほどであったためです。

「しばらくして、私は防空壕の外をそっとのぞきました。すると、校庭のあちこちに人びとが倒れているのが見えました。地面は、ほとんど一面、横たわる人びとの身体で覆われていました。その多くはすでに亡くなっているように見え、動く気配はありませんでした。しかし所々で、足をばたつかせたり、腕を持ち上げたりしている人の姿もありました。」

辻本 一二夫さん、5歳、長崎

外見上は傷ひとつ負っていないように見える人びとも、突然体調を崩し、そのまま命を落としました。それまでに例のない、放射線という有害な影響をもつ新たな兵器が使われていたことを知らなかったため、救助にあたった人びとは、その原因が分からず戸惑いました。

また、爆弾による放射線が母体の中にまで及んでいたため、両都市では多くの妊婦が流産し、あるいは生まれてきた子どもが乳児期に命を落としました。胎内で被ばくした子どもたちの間では、小頭症をはじめとする先天的な異常が多く見られました。

原爆投下から1か月後の長崎。出典:アメリカ政府

長崎で、原爆投下後に配給された食料を受け取る少年。出典:山端庸介

伸一さんの三輪車

広島への原爆投下時、当時3歳の銕谷伸一さんは、自宅の外で、いちばん好きだった三輪車に乗って遊んでいました。

彼は全身にやけどを負うなどの重いけがをし、数時間後に命を落としました。
姉の路子さんと洋子さんもまた、命を奪われました。

父親は後年、次のように語っています。「こんなことは、子どもたちに二度とあってはなりません。子どもたちが心ゆくまで遊べる、平和な世界をつくるために、どうか力を尽くしてください。」

伸一さんの焼け焦げた三輪車は、現在、広島平和記念資料館に常設展示されており、さらには、それをもとにした彫刻が、ジュネーブの国際赤十字・赤新月博物館に設置されています。

この彫刻は核兵器による攻撃において子どもたちが受けた苦しみを伝える、深い象徴となっています。

出典:広島平和記念資料館(寄贈:銕谷信夫)

広島の姉妹

2歳の綿岡公乃さんと、5歳の姉である裕乃さんは、広島への原爆投下時、両親とともに自宅にいました。家族4人、全員の命が奪われました。

もう一人の姉である香代子さんも、爆心地の近くにおり、命を落としました。生き残ったのは、長女の智津子さんただ一人でした。

この写真は、公乃さん(左)と裕乃さん(右)が写っており、原爆投下のわずか1日前に撮影されたものと考えられている。出典:岩田美穂

放射線にさらされて

広島に原爆が投下されたとき、池本徹さんは7歳、姉のアイ子さんは9歳でした。二人とも屋内におり、爆心地からおよそ1キロの場所にいました。

原爆投下から4〜5日後、髪の毛が抜け始め、発熱や歯ぐきからの出血といった、急性放射線症が現れました。

二人とも急性期の症状からはいったん回復しましたが、最終的には放射線の後遺症によって命を落としました。徹さんは11歳で、アイ子さんは29歳で亡くなりました。

1945年10月、広島赤十字病院にて撮影された、兄妹の徹さん(左)とアイ子さん(右)。出典:菊池俊吉

被爆者

広島と長崎への原爆投下を生き延びた人びとは、日本語で被爆者と呼ばれるようになりました。

多くの人びとは、生涯にわたり、傷による痛みや不調に苦しみ、心の深い傷も抱え続けました。身体や顔に厚い瘢痕(はんこん)が残ったり、ガラスの破片が体内に深く刺さったまま、何十年も生き続けた人もいました。

女性たちは、原爆による遺伝的な影響が、子どもや孫に受け継がれるのではないかという不安が社会の中に広がっていたため、とりわけ大きな困難と偏見に直面しました。

原爆投下から数年のうちに、多くの被爆者は放射線の後遺症により、がんやさまざまな病気の発症率が著しく高まりました。とりわけ初期には、白血病が多く見られました。

核兵器の危険性を世界に伝えるため、多くの被爆者が、1945年に起きた出来事について、自らの体験を語り続けてきました。当時子どもであった人びとの中には、今もご存命の方もおり、被爆体験を語る活動を続けています。

彼らのメッセージは、長年にわたり一貫しています。核兵器と人類は、共存できないということです。

2024年、日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)は、「核兵器のない世界の実現に向けた取り組みと、証言を通じて核兵器が二度と使用されてはならないことを示してきた」功績により、ノーベル平和賞を受賞しました。

被爆者たちの勇気ある、そしてたゆむことのない訴えは、世界中の多くの人びとに影響を与え、核廃絶に向けた運動へと人びとを導いてきました。

反核活動家、被爆者

長崎への原爆投下時、谷口稜曄(すみてる)さんは16歳でした。谷口さんは、「爆発の閃光とともに、自転車に乗っていた私は後ろから吹き飛ばされ、地面にたたきつけられました」と語っています。

顔を上げると、ほんの少し前まで周りで遊んでいた子どもたちが、すでに命を落としているのを目の当たりにしました。

爆心地から約2キロの場所にいたにもかかわらず、谷口さんは背中、左腕、左脚に重いやけどを負いました。傷はやがて感染し、回復のために約4年間入院することとなり、21か月間はうつ伏せのままで過ごしました。

その後も、傷による痛みが消えることはありませんでした。彼はその生涯の多くを、核兵器の廃絶に向けた活動に捧げました。

長崎の原爆による傷跡が背中に残る自身の1946年の写真を見つめる谷口稜曄さん。出典:中尾由里子

核実験が遺したもの

核兵器を保有する国々は、自国の核戦力の破壊力と致死性を高め、また対立する相手に警告を示すために、1945年以降、世界各地で2,000回以上の核実験を行ってきました。

これらの実験は、大量の放射線を大気や海へと放出し、がんやその他の慢性疾患を広めてきました。実験場が閉鎖された後も、広大な土地が、何十年にもわたり人が住むことのできない状態のまま残されています。

広島と長崎への原爆投下のわずか3週間前、アメリカ・ニューメキシコ州において、アメリカ政府は「トリニティ」と名付けられた、世界初の核実験を実施しました。巨大な火球は砂をガラスへと変え、周囲の山々を照らし出し、放射性物質を含むキノコ雲を上空約12キロまで押し上げました。

この核実験の作業に従事していた人びとや周辺の地域社会に壊滅的な影響をもたらし、その影響は現在に至るまで続いています。

同様の被害は、世界各地にある60か所以上の核実験場においても見られます。オーストラリアやアルジェリアの砂漠から、カザフスタンの草原、太平洋の環礁に至るまで、風下や下流に暮らす人びとや、そこで働く人びとが、長年にわたり深刻な影響を受けてきました。

1954年、アメリカがマーシャル諸島で行った核実験により、放射線によるやけどを負った13歳のイロジ・ケベンリさん。出典:アメリカ政府

核実験による爆発で生じたキノコ雲。出典:アメリカ政府

核実験場

核兵器は、アルジェリア、オーストラリア、中国、インド、カザフスタン、キリバス、マオヒヌイ(フランス領ポリネシア)、マーシャル諸島、北朝鮮、パキスタン、ロシア、トルクメニスタン、ウクライナ、アメリカ合衆国、ウズベキスタンにおいて実験が行われてきました。

Introduction

大気中で行われた核実験は、1945年から1980年にかけて500回以上実施され、とりわけ深刻な影響をもたらしました。放射性物質を広範囲に拡散させ、その破壊力を合わせると、広島に投下された原子爆弾約2万9,000発分に相当します。

今日では、地球上に生きるすべての人が、こうした大気中核実験による放射性物質を体内に取り込み、病気のリスクを高めています。医師たちは、これらの過去の核実験によって、長期的には少なくとも400万人が、がんやその他の病気により早死すると予測しています。

水中および地下で実施された核実験もまた、長期にわたる健康被害や環境への影響を引き起こしてきました。

20世紀後半には、核実験の影響に対する世界的な懸念が高まり、各地で大規模な抗議運動が広がりました。これを受けて、1963年に部分的核実験禁止、1996年に包括的核実験禁止ができました。これらはいずれも、核実験の世界的な抑止に大きく寄与しています。

しかし、過去の核実験が人々の生活や地球の脆弱な生態系に及ぼした影響は、これからも何世代にもわたって続いていきます。国際社会には、このような破壊を二度と繰り返さないようにする責務があるだけでなく、すでに生じてしまった被害に対処していく責任もあります。

世界各地において、核実験の被害を受けた人々の多くは、その苦しみに対する補償をほとんど受けておらず、旧核実験場の環境修復の取り組みも著しく不十分なままです。いくつかの場所では、老朽化した施設がさらなる汚染のリスクを今なお引き起こしています。

1971年、マオヒヌイのモルロア環礁におけるフランスの核実験。出典:フランス政府

カザフスタンにおけるソ連の核実験によって形成されたクレーター。 出典:包括的核実験禁止条約機関(CTBTO)

放射能と人種差別

核実験に関する意思決定の背景には、しばしば人種差別的な考え方が存在していました。政府や植民地支配勢力は、先住民族を犠牲にしてもよい存在と見なし、彼らの聖なる土地を価値のない「遠隔地」として扱ってきたのです。

2017年、オーストラリアのアナンガ・ヤンクニチャジャラの女性であるカリーナ・レスターさんは、国連において先住民族の連合を代表し、次のように証言しました。「私たちの土地、海、コミュニティ、そして身体には、これら死をもたらす実験の影響が今も刻み込まれており、それはこれから先、どれほどの世代にわたって続くのか分かりません。」

彼女はまた、「より一層致死性の高い大量破壊兵器」を追求する過程で、権力者たちは先住民族を「モルモット」のように扱ってきたと述べています。先住民の同意が求められることはほとんどなく、ましてや得られることはなく、十分な防護が提供されることもありませんでした。

核実験が残した有害な遺産により、多くのコミュニティは伝統的な生活様式から切り離され、先祖代々の土地に戻ることも、何世紀にもわたって続けてきたように土地や海から生計を立てることもできなくなっています。

オーストラリア:核実験による失明

1953年、ヤミ・レスターさんが10歳のとき、イギリスはオーストラリア内陸部の彼の住む地域に近いエミュー・フィールドで核実験を開始しました。

彼は放射性降下物、いわゆる「黒い霧」が空一面に広がったことを覚えています。それは目に強い刺激を与え、やがて4年のうちに視力をすべて失うことになりました。

「ただ他の子どもたちと遊んでいただけでした。そのとき爆弾が爆発したのです」と彼は振り返ります。「音を覚えています。奇妙な音でした。大きい音ではなく、これまで聞いたことのないような音でした。同時に地面が揺れ、あたり一帯が動いているのを感じました。」

数時間のうちに、彼のコミュニティの人々は皆、体調を崩しました。「私たちは皆、嘔吐し、下痢をし、皮膚に発疹が出て、目も痛みました。」「年配者で亡くなった人もいました。」と、彼は語っています。

その後ヤミさんは、核実験によって被害を受けたオーストラリアのアボリジニ(先住民族) を代表する主要な活動家となりました。2017年に彼が亡くなった後も、その子どもたちが正義を求める闘いを引き継いでいます。

出典:ジェシー・ボイラン

カザフスタン:腕のない状態で生まれたアーティスト

カリプベク・クユコフさんは、旧ソビエト連邦最大の核実験場であったセミパラチンスクの近く、カザフスタンのイェギンディブラク村で育ちました。彼は幼少期、核実験が行われるたびに家具や食器が揺れていたことを覚えています。

彼が生まれる前、両親は自宅近くの丘に登り、空高く立ち上る巨大でまばゆいキノコ雲をよく眺めていました。

「住民らは、自分たちに対して行われていた行為の健康被害や壊滅的な影響について、まったく知りませんでした」と彼は振り返ります。

カリプベクは1968年、腕のない状態で生まれました。身体的な困難を抱えながらも、彼は足や口を使って絵を描く著名なアーティストとなりました。彼の作品の多くには、反核のメッセージが込められています。

「この地における私の使命は、自分のような人々が核実験の最後の被害者となるよう、できる限りのことをすることです」と彼は語ります。「これらの出来事が、地球上のいかなる場所でも、いかなる時にも繰り返されてほしくありません…私たちの空が清らかであり、子どもたちが健やかでありますように!」

1949年から1989年にかけて、ソビエト連邦はセミパラチンスクにおいて450回以上の核実験を実施しており、これは世界全体の核実験の約4分の1に相当します。

「恐怖」:カリプベク・クユコフさんの作品の一つ。

マーシャル諸島:放射能に汚染された環礁

1954年、ネージェ・ジョセフさんが7歳のとき、アメリカ合衆国はマーシャル諸島のロンゲラップ環礁にある彼女の自宅から約160キロの地点で、史上最大規模の核実験「キャッスル・ブラボー」を実施しました。

この爆発は予想をはるかに上回る規模となり、より深刻な放射能汚染を引き起こしました。空はオレンジ色やピンク色に変わりましたが、住民たちは何が起きたのか理解していませんでした。

数時間後、放射性の灰やサンゴの破片が雨のように降り注ぎ、人々の皮膚や水、食料を汚染しました。やがて住民たちは急性放射線症を示し始めます。

ネージェさんの髪は抜け落ち、環礁のほとんどの住民と同じ様にやけども負いました。

数日後、アメリカ当局は健康への深刻な影響を理由に、ロンゲラップの人々を別の環礁へ避難させました。しかし3年後、残留放射線の健康影響を調査する目的から、当局は住民に帰還を促しました。

当時、アメリカの政府関係者は次のように述べています。「この種のデータはこれまで得られたことがない。確かに彼らは西洋人のような、いわゆる文明的な生活を送ってはいないが、それでもネズミよりは私たちに近い存在である。」


ロンゲラップの人々にとって、この帰還は壊滅的な結果をもたらしました。がん、流産、死産、先天異常の子どもの誕生が相次いで発生したのです。

ネルジェさんは放射性物質の蓄積により、甲状腺の摘出手術を受けざるを得ませんでした。彼女は、核実験以前の平穏な日々に戻ることを切望していました。

1946年から1958年にかけて、アメリカ合衆国はマーシャル諸島で67回の核実験を実施しました。「キャッスル・ブラボー」単独でも、その爆発力は広島の原子爆弾の1000倍に達していました。

今もなお、この環礁は居住、農業、漁業のいずれにも適さない状態のままとなっています。

放射線の影響により脱毛と足のやけどを負ったネルジェ・ジョセフさん。出典:アメリカ政府

その他の被害

核兵器の開発には、ウランの採掘から核廃棄物の処分に至るまで、さまざまな過程が含まれます。これらもまた、人びとの健康や環境に深刻な影響を及ぼしてきました。

核兵器の製造が始まる場所であるウラン鉱山では、廃棄物の残渣から生じる放射性物質や化学物質による汚染が、土壌や水系へと浸透し、労働者や周辺のコミュニティに被害をもたらしてきました。世界のどの鉱山においても、採掘終了後に完全な環境回復が実現された例はありません。

また、核兵器のためのプルトニウムを生産する原子力施設でも、放射能汚染が発生してきました。例えばイギリスのウィンズケール原子力発電所では、1957年に火災が3日間にわたって続き、放射性物質がヨーロッパの広い地域へと拡散しました。その結果、周辺地域のすべての農場の牛乳が廃棄されることとなりました。

さらに、1945年以降に数万発に及ぶ核兵器の製造によって蓄積された膨大な量の核廃棄物の安全な保管をめぐり、世界各地の多くのコミュニティが今もなお課題に直面しています。これらは、数千年にわたって危険な状態が続くとされています。

アメリカ・アリゾナ州での反核運動の参加者たち。出典:ジャック・コーエン=ジョッパ

核兵器の現状

現在、9か国が数千発におよぶ核兵器を保有しており、世界中の人々にとってかつてない深刻な脅威となっています。そのうち数百発は高い警戒態勢のもとに置かれ、数分以内に使用できる状態にあるとされています。

これらの核兵器は、ミサイル発射施設や航空機、そして常に海を航行する潜水艦に配備されています。なかには数千キロもの距離を移動し、大陸を越えて目標に到達するものもあります。

事実: 現在、世界の9つの核保有国は、約12,241発の核兵器を保有しているとされています。

その多くは、核時代のはじまりに広島と長崎に投下された原子爆弾をはるかに上回る爆発力を持っています。最大級のものは、通常の化学爆薬であるTNT火薬100万トン(1メガトン)以上に相当する威力を有しています。

また、戦場での使用を想定した、いわゆる「戦術核兵器」であっても、広島に投下された原子爆弾の20倍に相当する爆発力を持つ場合があります。

さらに、1隻の原子力潜水艦には、十数発以上の弾道ミサイルが搭載され、それぞれに複数の核弾頭が装備されていることがあります。その総合的な破壊力は、100以上の都市を壊滅させる規模に及ぶとされています。

核兵器が配備されている軍事基地の近くで暮らす人々は、核兵器による攻撃の被害を受けるおそれや、偶発的な爆発による影響を受ける危険性が特に高い状態です。政府による情報の非公開のために、自らがそのような場所の近くにいることに気づいていない場合もあります。

多くの核兵器は、単に保管されているわけではありません。実際に配備され、いつでも使用できる状態に置かれています。そして各国政府は、「近代化」という名のもとに、核兵器の強化や拡大に多額の資金を投じています。

また、いくつかの核保有国では、新しい種類の核兵器の開発や、その運搬手段の試験、さらには核兵器の使用に関する方針の拡大が進められています。こうした動きからは、各国が将来にわたって核兵器を保持し続ける意図を持っていることがうかがえます。

2023年の軍事パレードにおけるロシアの核ミサイル。出典:ロシア政府

博物館に展示されているアメリカの核ミサイル。出典:アメリカ政府

核保有国

現在、核兵器を保有している国は9か国あります。アメリカ合衆国、ロシア、中国、フランス、イギリス、インド、パキスタン、イスラエル、北朝鮮です。このうち、ロシアとアメリカ合衆国の保有核兵器は、他の国々と比べて突出して大きいとされています。

核兵器に関与する国々

核兵器を保有している国は9か国に限られますが、その保有や使用の可能性を支持している国は、30か国以上にのぼります。なかには、同盟国によるいわゆる「核の傘」のもとでの防護を受けている国々も含まれます。

たとえば、北大西洋条約機構(NATO)のすべての加盟国は、これまでに核兵器を支持する立場を公に示してきました。また、ベルギー、ドイツ、イタリア、オランダ、トルコなどの国々では、アメリカ合衆国の核爆弾が自国領内に配備されており、それらを投下するための航空機や人員の提供も行われています。ベラルーシも、ロシアとの間で同様の配備体制をとっています。

さらに、一部の国々は、核兵器の標的設定のために情報共有を行ったり、核兵器を搭載した艦船の領海通過や港湾への寄港、あるいは核兵器を搭載した航空機の領空通過や空港での給油を認めたりしています。

こうしたさまざまな関与は、核のリスクを長期にわたって存続させ、核軍縮に向けた取り組みを難しくしていると言えます。

ドイツで、アメリカの核爆弾が配備されている軍事基地を封鎖する抗議者。出典:ラルフ・シュレセナー

核拡散への懸念

核保有国が核軍縮を進めてこなかったことにより、今後さらに多くの国々、あるいは非国家までもが核兵器を取得するおそれが高まっています。こうした拡散を防ぐためには、核軍縮における着実な進展が不可欠です。

現在、核不拡散を目的としたさまざまな重要な取り組みが行われていますが、その効果が十分に保証されているわけではありません。ウランの濃縮や使用済み核燃料の再処理によってプルトニウムを生産できる国であれば、理論上、数か月のうちに核兵器を開発できる可能性があります。

南アフリカ、イスラエル、インド、パキスタン、北朝鮮はいずれも、「平和目的」とされる施設や資源を利用して核兵器を取得してきており、このことは、原子力計画に内在する拡散のリスクを示しています。

わずか数キログラムの高濃縮ウランや分離プルトニウムで1発の核爆弾を十分に製造できるといわれています。現在、これらの物質は世界中で数百トン規模にのぼる備蓄が存在し、いまもなお増え続けています。核軍縮を実現するためには、この課題と向き合うことが求められています。

核兵器の廃絶

核兵器がもたらす壊滅的で取り返しのつかない被害から人類を守るためには、各国政府が緊急性をもって、これらを廃絶するための取り組みを進めていくことが求められています。

これまでに、世界中の人々による核廃絶の声に応えるかたちで、数万発にのぼる核兵器がすでに解体されてきました。南アフリカは、核兵器を完全に廃絶した国であり、また多くの国々がその取得計画を取りやめています。

冷戦の最盛期には、世界にはおよそ7万発の核兵器が存在していましたが、1980年代半ばから2000年代初頭にかけて蓄積された世界的な備蓄量の数は大きく削減されました。

しかし近年では、核弾頭の解体に関する取り組みは停滞し、一部の核保有国では、かつてない速さで保有核兵器の増強が進められています。現時点で、完全な核軍縮に向けた具体的な計画を示している国はありません。

それでもなお、世界の大多数の国々は、核兵器に強く反対し、その速やかな核廃絶を求めています。

これらの兵器がさらに広がることを防ぐだけでは十分とはいえません。また、使用される状況に制限を設けるだけでも不十分です。地球上のすべてのいのちに対する深刻な脅威を考えれば、求められているのは核廃絶であるといえます。

「爆弾に反対するアーティストたち」によるインスタレーション作品。 出典:ミキ・アナグリウス

非人道的で違法、かつ非民主的

核兵器は、大規模な死と破壊をもたらし、人類の存続そのものを脅かします。数十万人もの人々を無差別に殺傷することは、いかなる理由によっても正当化されるものではありません。

核兵器が使用されれば、国際法に違反し、最も重大な戦争犯罪にあたると考えられています。このような壊滅的な影響をもつ兵器が、正当な軍事的あるいは戦略的目的にかなうものとはいえません。

世界各地、とりわけ核保有国においても、世論調査は核廃絶への強い支持を示しています。それにもかかわらず、核兵器の開発や増強を続ける政府のあり方は、市民の意思や利益と一致していないと指摘されています。

これらの最も恐ろしい兵器がなくなることで、世界のすべての人々が恩恵を受けることにつながります。

使用リスクの高まり

核兵器が使用されるリスクは、偶発的なものであれ意図的なものであれ、これまでになく高い水準にあるとされ、さらに拡大していると考えられます。

その背景には、厳しさを増す国際的な安全保障環境や、核保有国間の緊張の高まり、核兵器の増強、そして国際的な規範や制度の弱体化などが挙げられます。

また、軍事分野におけるサイバー能力や自律型技術、人工知能の開発も、この脅威を一層大きなものにしています。

とりわけ、警報を受けてから数分以内に使用できるよう、核兵器を高い警戒態勢に置く運用は、非常に危険であると指摘されています。いったん核弾頭を搭載したミサイルが発射されれば、それを途中で止めることはできず、たとえ誤った情報に基づくものであっても、目標に向かって進み続けることになります。

戦時の混乱のなかでは、指導者が必ずしも合理的とはいえない判断を下したり、予測しがたい行動をとったりする可能性があります。とりわけ緊張や混乱が高まる状況では、誤解が生じるおそれも大きくなります。

限られた少数の人々のみに核兵器による壊滅的な被害を引き起こす力が委ねられている現状においては、一瞬の恐怖や強硬な判断、あるいは意思疎通の行き違いが、世界的な破局につながる可能性も否定できません。

冷戦期には、世界が全面的な核戦争の瀬戸際に立たされた出来事が何度もありました。なかでも1962年のキューバ危機は、アメリカ合衆国とソビエト連邦の間で起きた、最もよく知られた事例の一つです。

1945年以降、紛争において核兵器が使用されてこなかったのは、適切な管理の成果というよりも、むしろ幸運によるところが大きいと指摘されています。そして、このような状況がいつまでも続くとは限りません。この脅威を取り除くための実効的な取り組みがなされなければ、いずれその幸運も尽きてしまうおそれがあります。

核抑止力

核保有国はしばしば、「核抑止力」という考え方をもとに、核兵器の維持を正当化しています。すなわち、自国の核兵器は他国による核攻撃を思いとどまらせるためのものであり、その結果として平和と安定に寄与すると説明をしています。

しかし、多くの国々はこの考え方を受け入れておらず、核抑止力は危険であり、適切とはいえず、持続可能でもない安全保障のあり方であると捉えています。さらに、それは本質的に攻撃的な側面を持ち、大規模な死と破壊をもたらすという現実的な脅威を前提としています。

また、抑止の考え方を支持する主張とは異なり、世界に核兵器が存在してきたことが、紛争や、核保有国に対する攻撃を防いできたとはいえません。むしろ、核兵器は緊張を高め、強制や威圧といった行為を可能にすることで、戦争や対立の可能性を高めてきたと指摘されています。

事故や誤り

核兵器は、意図的に使用されるリスクだけでなく、人為的な誤りや技術的な不具合、サイバー攻撃、警報の誤認、あるいは指揮統制システムへの不正アクセスなどによって、爆発に至るおそれもあります。

1945年以降に発生してきた数多くの事故や、誤りによって使用寸前に至った事例は、意図しない予期せぬ災難が起こり得る危険性を示しています。

例えば、1968年に4発の核爆弾を搭載したアメリカの航空機が火災を起こし、グリーンランド付近で墜落する事故が起きました。その結果、周辺地域はプルトニウムによって汚染されました。爆発は発生したものの、核連鎖反応は引き起こされませんでした。

また1995年には、ロシアの当局がノルウェーの観測ロケットの打ち上げを、アメリカの潜水艦発射弾道ミサイルと誤認する事態がありました。ロシア大統領は報復攻撃のための発射コードを準備しましたが、最終的には誤報であると判断されました。

そのほかにも、海中での核兵器の喪失、原子力潜水艦同士の衝突、白鳥の飛行や雲に反射した光が核弾頭搭載ミサイルと誤認された事例、さらには訓練用テープが誤って実運用中のコンピューターに挿入され、核攻撃を模擬する警報が発せられた事例など、深刻な問題をはらむ出来事が報告されています。

1961年、アメリカ・ノースカロライナ州で、爆撃機が翼を失った際に2発の核爆弾が地上に落下。当時のアメリカ国防長官であったロバート・マクナマラは、「ほんのわずかな偶然―文字どおり、2本のワイヤーが接触しなかったことーによって、核爆発は回避された」と述べている。出典:アメリカ政府

人道的支援の限界

世界のいかなる場所においても、たとえ1発であっても核兵器が使用されれば、医療体制は深刻な打撃を受け、効果的な人道的支援は極めて困難になると考えられています。

病院や薬局、消防設備、通信や輸送の仕組みは、数キロにわたる壊滅的な被害の範囲において、機能を失うことになります。

負傷者や病人への支援にあたる人々も、高いレベルの放射線にさらされ、自らの命を危険にさらすことになります。

赤十字国際委員会は、単一の核兵器の使用であっても十分に対応できる体制は存在せず、まして全面的な核戦争に対してはなおさらであり、そのような体制を整えることは不可能であると繰り返し警告しています。

同様に、世界保健機関も、「世界に残された医療体制では、このような惨禍を十分に軽減することはできない」と結論づけています。

1945年の救護所の様子を描いた、広島の被爆者による絵。 負傷者は次々と命を落としていった。出典:山岡文子

核シェルターは役立つのか

放射性降下物から身を守る核シェルターを増やすことは、解決策とはいえません。これらは冷戦期に広く注目されましたが、核戦争を生き延びられるかのような、誤った安心感を与えてしまう側面があります。

核兵器による攻撃が行われた場合、事前に十分な警告が得られる可能性は低く、避難する時間が確保できないおそれがあります。

さらに、爆心地に近い多くの核シェルターは高熱にさらされ、内部にいる人々の命が失われる危険性があります。実際に、地下深くまで到達して核シェルターを破壊することを目的とした核兵器も存在します。

仮に間に合って避難し、生き延びることができたとしても、外に出ると高い放射線に覆われた危険な環境が広がっており、救助を受けられる可能性も限られていると考えられています。

資源の浪費

核保有国は毎年、核兵器の強化や拡大のために、数十億ドル規模の資金を費やしています。これらの資金は、本来であれば医療、教育、貧困の解消、さらには気候危機への対応などに充てることができるものです。

一部の国では、企業が核兵器の開発や製造を支えることで大きな利益を得ています。また、シンクタンクや大学もこれに関与し、経済的な利益を受けている場合があります。

このような命を脅かす活動を終わらせることができれば、資源をほかの分野に振り向けることが可能になります。そして、優れた科学者たちの知識や力を、大規模な殺傷や破壊の能力を高めるためではなく、より平和な世界の実現に向けて活かすことができるようになります。

イギリスで建造中の核兵器を搭載した原子力潜水艦。出典:イギリス政府

平和への障壁

核兵器は、今日のさまざまな安全保障上の課題を解決するものではありません。むしろ、それらの多くを悪化させ、あるいはその主な原因となっていると指摘されています。

核廃絶が実現すれば、国と国との関係はより調和のとれたものとなり、国際協力がいっそう進む機会が生まれます。それは、現在の核兵器保有国を含め、世界中の人々にとって大きな利益につながるものです。

また、国家の安全保障と国際社会全体の安全保障の双方に資する、極めて重要な国際的公共財となると考えられています。

ジェンダーの視点

核兵器の使用に言及する指導者は、しばしば男性的で強く、決断力があると評価される一方で、核軍縮を支持する人々は、女性的で弱く感情的であるかのように見なされることがあります。

また、核兵器に関する議論や意思決定の場は、男性が中心となる傾向が続いています。

こうした考え方に向き合い、多様なジェンダーの視点が尊重され、包摂されることは、核軍縮の前進にとって重要であり、その実現の可能性を高めることにつながります。

核兵器の禁止

2017年、核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)とそのパートナーによる10年にわたる取り組みを経て、122か国が、世界で最も深刻な被害をもたらす兵器を禁止する画期的な条約の採択に賛成しました。これは、核兵器禁止条約(TPNW)として知られ、2021年に発効しました。

それ以前は、大量破壊兵器の中で、核兵器だけが包括的かつ世界的に適用される禁止の枠組みを持たない兵器でした。この条約は、その国際法上の大きな空白を埋めるものとなりました。

この条約は、核兵器が人類の生存、環境、社会・経済の発展、世界経済、食料安全保障、そして現在および将来の世代の健康と福祉に対してもたらす脅威への深い懸念から生まれました。

またこれは、核兵器を全面的に禁止する初めての多国間条約であるだけでなく、検証可能な形での核廃絶の枠組みや、その使用や核実験による被害を受けた人々への支援についても定めた、初めての国際的な枠組みでもあります。

事実: これまでに、74か国が核兵器禁止条約を批准または加入しており、さらに25か国が署名しています。今後、より多くの国々がこれに続くことが期待されています。

現時点では、核保有国でTPNWに参加している国はありませんが、この条約は、核兵器の使用に対する国際的な強い否定の認識を高め、長らく求められてきた核軍縮に向けた行動を促すうえで、重要な役割を果たしています。

歴史的にみても、特定の兵器を禁止することは、その廃絶に向けた前進を後押ししてきました。禁止された兵器は、次第に正当性を失い、政治的な位置づけが低下するとともに、その製造に向けられる資源も縮小していきます。

「2021年1月に核兵器禁止条約が発効したことは、非常に大きな成果であり、最終的な核廃絶に向けた一歩となるものです。」

アントニオ・グテーレス(国連事務総長、2021年)

時間の経過とともに、より多くの国々がTPNWに参加することで、その規範はさらに強まり、核保有国に対してそれに沿った行動を求める圧力も高まっていくと考えられています。これまでに、世界の半数を超える国々がこの条約に参加しています。

この条約は、大量破壊をもたらす脅威が許容され続ける世界に代わる、有力な選択肢を示しています。そして、深刻な危機の時代において、前に進むための道筋を提示するものとなっています。

2017年に行われたTPNWのハイレベル署名式。出典:UN Photo

核兵器禁止条約(TPNW)の主な内容

禁止事項

TPNWは、各国が核兵器の開発、実験、生産、製造、取得、保有、貯蔵、使用及び使用の威嚇を違法としています。さらに、自国の領域内に他国の核兵器を配備することや、条約で禁じられた活動を他国が行うことを援助や奨励することも禁じられています。

廃絶に向けた枠組み

この条約は、核兵器開発計画および関連施設を、検証可能かつ不可逆的に廃絶するための法的枠組みを定めています。核保有国がこの条約に参加する場合、まず運用中の核兵器を直ちに解除し、その後、合意された期限付きの計画に従って、最長10年以内に廃棄することが求められます。また、条約に参加する前に核兵器を廃棄し、指定された国際機関による検証を受けるという選択も認められています。

被害者援助と環境修復

この条約は、核兵器の使用や核実験によって被害を受けた人々に対し、医療、リハビリテーション、心理的支援などを提供することを各国に求めています。また、核爆発による放射線で汚染された地域の環境改善に向けた取り組みも必要とされています。これらの実施においては、国際的な協力が重要な役割を果たします。

他の条約との関係

TPNWは、核兵器に関するこれまでの条約を補強するものです。1968年の核不拡散条約(NPT)がその1つであり、核兵器を保有する国の数を抑え、核軍縮の実現を目指す条約です。

1996年に国際司法裁判所が示したとおり、各国には「誠実に交渉を行い、核軍縮につながる交渉を完結させる法的義務」があります。この目標に向けた進展が十分でなかったことが、TPNWの交渉が進められる大きな要因となりました。

このほかにも、1996年の包括的核実験禁止条約や、ラテンアメリカとカリブ海地域、南太平洋、アフリカ、東南アジア、中央アジアにおける非核兵器地帯を定めた地域条約など、相互に補完し合う枠組みが存在しています。

TPNWは、戦争における手段や方法を制限する国際人道法に基づいています。武力紛争においては、民間人と戦闘員を区別できない兵器や、過度の被害や不必要な苦しみをもたらす兵器の使用は避けなければならないとされています。

TPNWの原本。出典:ICAN

さらなる参加の広がりに向けて

TPNWには、すべての国がいつでも参加することができます。現在は参加に慎重な姿勢をとっている国々であっても、条約への参加国が増え、市民の声が高まるにつれて、その立場を見直す可能性があります。

こうした変化は、これまでの他の条約においても見られてきました。たとえばフランスや中国は、核不拡散条約の交渉時にはこれに反対していましたが、その後、数十年を経て参加に至りました。

世界は絶えず変化しており、現在の指導者が永続的にその地位にとどまるわけではありません。将来の政府が、現在とは異なる判断をし、この条約の意義を受け入れる可能性もあります。

TPNWに参加した国々には、他国にも参加を働きかけることが求められており、その最終的な目標は「普遍的な参加」にあります。

この条約への参加は、核兵器が受け入れられないものであり、廃絶されるべきであるという明確なメッセージを示すことができます。核のリスクが高まる現代において、これは最も深刻な兵器をなくすための大きな希望となるものです。

「この条約によってもたらされた貴重な機会を今こそ活かし、核兵器の時代に終止符を打ちましょう。」

赤十字国際委員会(2020年)

2025年、ニューヨークで開催されたTPNW締約国会議。出典:ICAN

核軍縮を実現した国々:南アフリカとカザフスタン

TPNWを積極的に支持してきた南アフリカとカザフスタンは、これまでの行動を通じて、核軍縮が実現可能であることを示してきました。

1991年、ソビエト連邦の崩壊に伴い独立したカザフスタンの領内には、1,400発以上の核兵器が残されていました。同国は、自国の安全は核軍縮によってこそ確保されるとの考えのもと、これらすべてを放棄する道を選びました。

また南アフリカも、1990年代初頭のアパルトヘイト体制の終結に際し、同様の判断に至りました。同国は、自主的にすべての核爆弾を解体し、その事実は国際原子力機関によって確認されています。

両国の指導者は、核兵器のない世界の実現に向けた自国の貢献に大きな誇りを示すとともに、他の国々にも同様の行動をとるよう呼びかけています。

南アフリカの核爆弾の外殻(ケース)。

核廃絶に向けた行動

核兵器は人の手によって生み出されたものであり、人の手によって廃絶することができます。技術的な障壁があるわけではなく、課題は主に政治的なものにあるとされています。これまでに、数万発にのぼる核兵器がすでに解体されてきました。

指導力と政治的な意思があれば、核軍縮に向けたさらなる前進は、比較的短い期間で実現する可能性があります。すでに広い地域が非核兵器地帯として定められていることは、将来的に世界全体がそのような状態になる可能性を示しています。

歴史を振り返ると、核軍備管理の分野における大きな前進は、国際的な緊張が高まる時期に達成されてきた例も少なくありません。危機的な状況は、指導者に新たな解決策を模索させる契機となることがあります。

しかしながら、前進のためには、社会のさまざまな立場の人びとによる、力強く持続的な市民の取り組みが欠かせません。現在、核兵器の使用に対して世界的に強い否定の認識が存在しているのは、長年にわたる市民の声と行動の積み重ねによるものです。

世界で最も深刻な被害をもたらす兵器の廃絶に向けて、個人ができることは数多くあります。以下に、その一例を紹介します。

ノルウェー・オスロで行われた、TPNWを支持するたいまつ行進。出典:クリスティアン・レムレ=ラフ

知る、伝える

友人や家族、同級生や同僚に対して、核廃絶の緊急性について情報を共有しましょう。記事や投書を書き、ソーシャルメディアで発信したり、公開フォーラムや学習会、映画上映会を企画することなども有効です。

核兵器が人々や環境にもたらす影響について理解を広げることは、特に重要です。これまでの教育では、1945年にこれらの兵器を開発し、使用した人々に焦点が当てられることが少なくありませんでした。

広島や長崎の被爆者、そして核実験によって被害を受けた人々の証言は、人々の意識を変え、行動を促す力を持っています。

折り鶴

日本では、折り鶴は古くから健康や長寿を願う象徴とされています。今日では、国際的にも平和の象徴として広く知られ、核廃絶の必要性について大切な対話を生み出すきっかけともなっています。

広島で被爆した佐々木禎子さんは、2歳のときに原子爆弾の放射線の影響を受けました。その後、その後遺症として白血病と診断され、入院中に健康への願いを込めて、千羽の折り鶴を折ることを目標にしました。

彼女はその目標を達成しましたが、病状は次第に悪化し、12歳で亡くなりました。

それ以来、日本各地、そして世界中の子どもたちが、核兵器のない世界への願いを込めて、折り鶴を折り続けています。

みなさんも国の代表者に、折り鶴を郵送したり手渡したりして、TPNWへの支持を求める手紙を添えてみてはいかがでしょうか。

長崎の記念碑を彩る、数千羽の折り鶴。出典:ICAN

働きかける

自分の国の意思決定に関わる人々に対して、手紙を書いたり、電話をかけたり、直接会ったりして、核兵器の全面的な核廃絶への支持を求めましょう。

2017年以降、さまざまな政治的立場を超えて、世界各地の何千人もの国会議員が、市民の声に応え、TPNWへの参加を促進するための、ICAN議員誓約に署名しています。

また、ワシントンD.C.、パリ、シドニーなど、数多くの都市がこの条約への支持を正式に表明し、ICANによる呼びかけ「シティーズ(都市)・アピール」に賛同しています(cities.icanw.org)。

専門的な知識がなくても、声を上げることはできます。大切なのは、この脅威の深刻さを理解し、行動の緊急性を認識することです。

世界各国の議員を招集するICAN。出典:デレク・フレンチ

声をあげる

非暴力による抗議は、核兵器反対の意思を示す重要な方法の一つです。集会やデモ行進、座り込み、追悼の集いなど、さまざまな形で行われています。

長年にわたり、世界の平和や核軍縮を求める人々は、この課題に関心を向けるために、大小さまざまな抗議行動を継続してきました。核兵器の開発や配備が行われている場所や、それに関わる大学、さらには各国の議会前などで、数多くの抗議活動が行われてきました。

こうした広範な抗議行動は、核実験の停止や、保有核兵器の拡大の抑制、そして1945年以降、戦争における核兵器の使用を防ぐことにも寄与してきたと考えられており、さらには、核軍縮に向けた圧力を高める役割も果たしてきました。

現在、こうした取り組みをさらに広げていくことが求められています。

オーストラリア・メルボルンでの反核運動の様子。出典:ジェシー・ボイラン

投資引き揚げ(ダイベストメント)

一部の核保有国では、企業が核兵器やその部品の製造に関わり、金融機関が資金を提供することで、その活動が支えられています。

こうした核兵器産業からの投資引き揚げ(ダイベストメント)は、金融機関が核軍縮に貢献するための具体的な行動の一つです。すでに多くの機関が、TPNWの趣旨に沿い、核兵器に依存しない金融への取り組みを進めています。

個人としても、自身が利用している銀行や年金基金に対し、核兵器に関わる企業を投資対象から除外するよう働きかけることができます。

キャンペーンについて

核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)は、世界中の非政府組織による国際的な連合であり、その使命は明確です。すなわち、すべての国が核兵器禁止条約(TPNW)に参加し、その内容を完全に実施するよう働きかけることです。

このキャンペーンは、2007年にオーストラリアのメルボルンで設立されました。その背景には、人道的観点から対人地雷の禁止を実現した運動の成功があります。現在、ICANの本部はスイスのジュネーブに置かれています。

「核兵器を禁止し、廃絶するためには、世界規模での断固たる運動が必要です。この世代のうちにそれを実現するためには、世論のうねりを大きく高めて発展させていかなければなりません。それによってこそ、核兵器の完全な廃絶という最終目標へと確実に導く、巨大で勢いのある、抗いがたい力となるはずです。そうした力がなければ、どれほど優れた指導者であっても、その道のりの途中で立ち止まってしまうでしょう。」

ビル・ウィリアムズ(ICAN共同創設者、2006年)

ジュネーブでのICANの活動の様子。出典:オード・カティメル

設立以来、ICANは、核兵器に対する強い市民の反対の広がりを築くことに力を注いできました。その一環として、広島や長崎の被爆者、そして核実験によって被害を受けた人々の声を広く伝えてきました。

また、赤十字国際委員会国連事務局、志を同じくする各国政府と連携しながら、啓発イベントの開催、先駆的な調査研究の発表、世界的なアクションを起こす日の設定や実施などに取り組んできました。さらに、核廃絶の必要性について、各国の意思決定に関わる人々に直接働きかけを行ってきました。

事実: 核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)は現在、113か国にわたる700のパートナー団体によって構成されています。

ノーベル平和賞

2017年、ICANは、「核兵器の使用がもたらす破滅的な人道上の結末への注目を集め、核兵器を条約によって禁止するための革新的な努力をしてきたこと」が評価され、ノーベル平和賞を受賞しました。

「私たちは、ICANがこの1年間で、核兵器のない世界の実現に向けた取り組みに、新たな方向性と力強さをもたらしたと確信しています。」

ノルウェー・ノーベル委員会(2017年)

この受賞は、核時代のはじまり以来、世界各地で声を上げ続けてきた無数の活動家や市民のたゆまぬ努力への賛辞でもあります。彼らは、核兵器に反対し、その恒久的な廃絶を訴え続けてきました。

これは遠い未来の理想ではなく、いま求められている切実な課題です。これからの世代が、この深刻な脅威から解放された世界で成長していくことが求められています。

広島で行われた学生たちの活動の様子。出典:中奥岳生

サーロー節子

13歳のとき、サーロー節子さんは、広島に投下された原子爆弾の爆風によって意識を失いました。倒壊した建物のがれきの中に閉じ込められましたが、やがて自力で這い出ることができました。

「その建物にいたクラスメートのほとんどが、生きたまま焼き殺されました」と彼女は振り返ります。「目の前に広がっていたのは、言葉では言い尽くせない、想像を絶する破壊でした…焼けた人間の肉の強烈な臭いが、あたり一面に立ち込めていました。」

核兵器による戦争の恐ろしさを今に伝える証言者として、サーローさんは2017年、ICANに授与されたノーベル平和賞を共同で受け取りました。「核兵器はいつどんなときも、私たちが愛する全ての人々、いとおしく思う全てを危険にさらしています」と彼女は警告しています。

「私たちはこの愚行をこれ以上許してはなりません。」

彼女は各国の指導者に対し、最近採択された核兵器禁止条約に署名するよう訴えました。「これを核兵器の終わりの始まりにしようではありませんか」「この条約に参加してください。核による滅亡の脅威を永久になくしてください」と彼女は語りました。

2017年、ノルウェーで行われたノーベル平和賞授賞式に出席するサーロー節子さん。出典:ジョー・ストラウベ

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